なんでこのブログを始めたの?



正直に言います。

言葉で生きていきたい。



言葉と向き合う仕事をしたいと思いたったとき、私には何もありませんでした。1年で読む本の数は論文より少なく、ブログも更新していない、もちろん書いてお金を稼いだこともない。

経験としてのインプット・アウトプットが圧倒的に足りていないことは自明でした。

中学のころからブログを書いていたおかげで、ちょっとエモい文章は得意です。でも、それは自分の感情を吐露するばかりで、人のための言葉ではありませんでした。

そこで、相手を意識した文章を作る訓練すると同時に”人の役に立つ”情報を提供する場をつくろうと決めました。それが2018年春のこと。

しかし、すぐに壁にぶつかりました。ぶつかるというより、もう1歩を踏み出すスペースすらなかった。私には、人に提供できるものがなかったのです。

おもしろいと思ってもらえるようなニッチな趣味だとか、肩書だとか、超絶語れるようなものがない。唯一得意な料理のコンテンツは、世の中にあふれかえっている。

かといって、ユーモアもないし、知的な文が書けるわけでもない。

絶望しました。あぁ、小学校のときにしていた1日2冊読書を続けてればよかった、中学校のときにハマっていた検定を続けていればよかった、、、後悔先に立たず。

私ってこんなにつまらない人間だったのか…

そんなことを思いながら就活を続けました。


就活のさなかで

就活を開始してからというもの、会う人会う人に言われることは、「なんでそんなに自信がないの?」ということでした。というか、人に言われる前に自分で痛いほどわかっていました。ESが書けないのです。「長所とか言われても…不器用で人とのコミュニケーションが下手って、たいていの仕事ではそれ必要なやつ。」「学生時代に頑張ったこと?そりゃ部活頑張りましたよ、でも予選落ち。こんな事書いたって、自分の効率の悪さ露呈させるだけじゃないか」

そんな感じで、しばらく情緒不安定なまま日々を過ごしました。

2週間かけて1000字のESを書き終えたある日、おかしな考えが沸き上がってきました。「あれ、もしかして私に殊勝なのって、この振り切ったネガティブさなのでは?」

バカですよね、でも思っちゃったんです。病みすぎて、頭が狂ってしまったのかもしれません。

同時に、本当に自分に対峙できないとどこにも採ってもらえないんじゃないか、このままでは社会で生きていけないのでは、という焦りを感じていました。その割に行動力もない私。それならば、もう自分を公開してしまおう、やらざるを得ない状況にしてしまおうと思いました。

自分を変えたいともがき始めて10年以上たっても変わらず、私は今の自分が嫌いです。変わった自分がまた嫌になってしまう。だから、正直、ポシティヴになれるかと言われたら無理だと思います。

ただ、この10年間でちょっとは変わった部分もあるんです。ありがとうと言えるようになったこと、下の名前で呼んでくれる友だちができたこと、好きな人の前でスカートがはけるようになったこと。ちょっとだけ生きやすくなりました。

だから、まだまだたくさんある行動してこなかったことを全部したら、もっと楽しく日々を過ごせるようになるはずだと、信じています。

同時に、等身大の私の姿を見せることで、少しでも同じような人に勇気を持ってもらいたいと、ちょっと偉そうなことを思ってる。まだ何もしてないのに(笑)でも、もう変わってしまった人よりも、今あがいている人の方がとっつきやすいっていうのが私の実感の中にはあります。それで、一緒に変わる仲間も見つけられたら最高だなぁって、ひそかな野望も抱いています。

もう1つ、私のような人間を理解できないという人たちに、私たちの頭と心の中を、おもしろおかしくみてもらえたらいいな、とも思っています。世の中、ポジティブとか明るいとか器用の方が善ととらえる傾向が強い(何より私がそう思ってしまっている)から、ネガティブの方には光が当てられないんですよね。だから、「なんでそんな風に思うの?」「頭おかしい」とか言われてしまう。せめて、頭では理解してもらえたら、ちょっと楽になって、生きやすくなるんじゃないかなぁってちょっと思ったりして。


目指すは救われるネガティブ



ネガティブも、この世界に必要なものだと思っています。ドメイン名に思いきり”positive”とか入れてしまったんですが、よくよく考えたら、心の底からポジティブになりたいわけじゃないです。それはもはや私じゃない。

変わりたいっていう気持ちがなかったら京大に来ることも、来れるだけの受験乗り越え能力もつけることはできなかっただろうし、この鬱鬱とした気持ちがあるから文章を書けるんだと思っています。

ただ、負の感情から動けなくなってしまう夜がありすぎるところや、卑屈な発言をしすぎて周りの人も不快にさせてしまうところ、完璧を求めすぎて結局何もできないところ…行き過ぎたものを直したい。yuという人間を、上手に社会の中で使えるようになりたいんです。

「あいつネガティブだけどおもしろい」「ネガティブなyuにしかできないことだよね」そう言ってもらえるような、救われるネガティブをめざします。

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